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写真、機材、史跡等々についてのつれづれ日記
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 本長者原廃寺では、現在は失われていますが、心礎と思われる礎石が発掘されています。戦前の記録に書かれているサイズは、1辺2.7m。上部に直径90cm、高さ15cmの凸部があったとのこと。
 この凸部、柱座のようでもありますが、高さが15cmというのが少し高すぎる気がします。ホゾにしては直径90cmというのが大きすぎるような。
 ううむ。記載内容だけではよくわかりません。仮に柱座とすると、高さは30m前後、五重もしくは三重塔でしょうか。
 さて、写真は現地にある説明板です。現地では、これが唯一本長者原廃寺がここだとわかる物証です。この看板には、心礎の縮小模型という写真が表示されていますが、これはいくらなんでも、概要の模型であって礎石の忠実な形ではないのでしょうね。
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 本長者原廃寺の旧更正図の写し、現国土地理院地図を入手し、比較してみましたが、耕地整理が大規模に行われたため、現地図で推定基壇の正確な場所を定めることが難しく、僕の調査では推定基壇位置の特定まで至っていません。
 そんな状況のなか、何度かなにか痕跡はないものか、と足を運んだことがありますが、その折、範囲内の民家の庭先(金堂付近?と勝手に思っています。)で写真の柱座とも思える凸部のある石を見かけました。
 奈良時代の礎石としては表面が新しい気もしますし、大きさもちょっと小さいような気がしますが、場所が場所だけに可能性があるのでは、とひそかに考えています。
 新潟県は、旧国名では越後となります。現在の県の中心となる県庁の所在地は下越の新潟市となっていますが、奈良時代の越後の中心、国府は、上越地方、上越市にあったようです。
 場所は現在の上越市の今池付近の可能性が高いと考えられています。国分寺は国府に近い場所に造営されていたため、この付近にあるはず、ということになります。
 現在、上越市には今池から離れた海際、直江津地区に、五智国分寺という寺院がありますが、このお寺は上杉謙信が16世紀に再興したもので、奈良時代に創建された国分寺とは直接のつながりのない国分寺です。
 このため、創建越後国分寺はどこにあるのか確定されていない状況です。
 国府の所在が想定される今池から1km以内の範囲に、本長者原廃寺と呼ばれる古代寺院跡があります。現在、この場所は道沿いの宅地以外は耕地整理がおこなわれた一面の田圃で、何の痕跡もありませんが、耕地整理がおこなわれる前には、ここに寺院の基壇と想定される、周囲より一段高い畑があったそうです。その想定基壇は、4箇所ほどあり、それぞれ北から、講堂跡、金堂跡、塔跡、南門跡とした場合、国分寺式寺院配置で説明ができ、越後国分寺の有力な候補地と考えられています。
 先般、久しぶりの長距離旅行に行ってきました。
 最近、なかなか史跡めぐりに行けてないので、チャンスとばかり、松阪城、志摩国分寺、甲賀寺あたりの場所を確認しておきましたが、無念、渋滞などの都合により、伊勢国分寺のみとなりました。
 夕方4時ごろ、国分寺跡に併設されている鈴鹿市考古博物館に到着。
 詳しい解説を見てから国分寺跡を散策しようと思い、入館。
 模型や瓦当が展示されているが、発掘の経過など詳しいことはあまり表示なし。どうやら博物館の北東方面に遺跡があるよう。そそくさと外に出ました。
 うろ覚えで、森林の中に、金堂跡、中門跡などが簡素な木看板で表示されていたと思い、考古博物館周りをうろつきましたが、何一つ表示を発見できず、遺構らしきものも見つけられず、どこだかさっぱりわかりません。土剥き出しの広い土地が状況的に国分寺跡のようですが、工事現場そのもので遺跡らしさがまったくありません。
 再度考古博物館に戻り、資料を捜索。ようやく事態がわかってきました。

 再度、パンフレットを片手に外へ。やっと場所がなんとなく特定できましたが、やはり目安となるものが何もない。どうやら、伊勢国分寺跡は、現在再整備の真っ只中。そのため、標柱などが一時撤去されて、考古博物館の脇に固められておいてあったのです。
 ただし、石製。(ん?木製では?)
 実は僕がうろ覚えにしていた写真などは、伊賀国分寺のもので、伊勢国分寺ではなかったのでした(いくらそれを探してもあるわけないですね…)。
 後の調査で、過去には、基壇跡の盛り上りや、植栽による伽藍配置の表示があったようですが、まったく何もありませんでした。
(完全に削平してありました。基壇の名残部分、破壊しちゃったんじゃ?
整備のためとは言え、いいのか?)
 結局、とりあえず現地には行ったものの、はなはだ不満足な結果だったのですが、後で家で検索すると、伊勢国分寺には面白い話がたくさん。

 伊勢国分寺跡は、近年、だいぶ発掘が進んでいますが、敷地内から塔跡が発見されていないのだそうです。数次にわたる調査で、金堂、講堂、中門等の主要伽藍跡は検出されてましたが、塔跡は発見できず。すでに敷地内で塔を建てられる可能性のある場所が残されていないそうです。
 国分寺は、多くの国で僧寺と尼寺と近接して建てられ、僧寺は規模がやや大きく塔があるのが特徴、尼寺は僧寺に比べ、やや規模が小さく、塔がある例は発見されていません。国分寺の建立を進めた聖武天皇の詔には、「まず塔を建てよ」とあったことから、塔のない国分僧寺も考えにくいと思います。中門が検出されない伯耆国分寺などもあるので、塔が発見できないことのみで確定はできませんが…。
 ネット上でも、現在伊勢国分寺(僧寺)と言われている遺跡は、実は伊勢国分尼寺では、という意見がありますが、私もなんとなくそんな気がします。
 さて、その場合、僧寺はどこか、ということになりますが、博物館の東側500mほどの住宅地に古代寺院の跡が想定できるとのこと。古瓦が採取されたりしているそうですが、本格的な発掘調査はされていないとのこと。
 さらに、その南側に白鳳時代までさかのぼる(可能性のある)古代寺院跡があるとのことです。発掘調査が楽しみです。
 …調査が不足していたので、このいずれも見学し損ねました。
 まぁ、旅の状況からしてわかっていても行けたかどうか。そして行ったとしてもなにも見つけられなかったのでしょうけれども。吉備池廃寺のように、ものすごい遺跡があったりして…なんてね。
 整備状況も確認したいし、また再訪したい国分寺跡です。
 
 さてさて、このカテゴリー、古代寺院の初投稿は、百済大寺(大官大寺・大安寺)についてにしたいと思います。
 今から10年ほど前、新聞に吉備池廃寺という名前が考古学上の世紀の発見として新聞に取り上げられました。通常、廃寺の場合、文献に出てくる本来の名前と一致することが明らかでない場合、発見された場所の地名に廃寺をつけて呼ばれるため、吉備池廃寺は正式名が不明な寺です。
 しかしながら…。発見された基壇(建物跡)の規模は巨大この上なく、また年代的にも非常に古く、その年代でこの巨大さをもつ寺で所在が明らかでない歴史上の寺は、ただ一つ。長年、場所がわからなかった百済大寺しかなかったのです。また、塔基壇から推測される塔の規模は、九重塔。いやはやすごい。

 というわけで、見に行きたくてたまらなかった場所へ、今から5年程前、行ってきました。これほど大々的に発表されたものでもあるし、すぐにわかるだろうと思い、現地へ行きましたが、もうすでに発掘調査は終了していたこともあって、なかなか判りません。結局夜になってしまい、嫁の提案を聞き入れ、地元の人に聞いてやっと判りました。
 夜ではほんとに何がなんだかわからなかったので、付近で一泊して翌朝再訪。

 一言でいうと、まぁ、土手ですな…。現在、農業用の用水として吉備池は使われているのですが、これの堰堤の一部に組み込まれています。僕がそれまでに行ったことのある古代寺院の基壇はせいぜい80cm。基壇の近くへ行けば、基壇の上面の様子はよく見えるものです。がしかし、吉備池廃寺の基壇は現状で2メートル以上の高さがあるのです!上らなければ上面なんてぜんぜん見えない。これはすごい。
 すごいのだけど、すごすぎて誰もこれが寺院の基壇だと思っていなかったために発見されなかったようです。
 世の中、こんなことがあるんですね…。

 吉備池廃寺は、新たな謎を生みました。この寺院跡からは通常出土するはずの瓦や礎石といった遺物がほとんどでません。これ自体は謎ではなく、理由は推測されています。この寺は、完成後30年程で移築されたと記録に残っています。移築先は、高市という場所で、新たに高市大寺と呼ばれました。この後、再度改称し、「大官大寺」となり、平城京への移築で、「大安寺」となります。
 大官大寺については、奈良の明日香村に、跡が発見されています。大安寺についても、現在小規模な寺院となっていますが、平城京の南部に現存しています。百済大寺は、高市大寺へ移築されたために瓦も礎石もないということは史料と合致しています。
 吉備池廃寺=百済大寺、高市大寺=大官大寺、大安寺、すべて明らかなようなのですが、ここに問題があります。高市大寺は改称されて大官大寺になりましたが、明日香村で発見されている大官大寺はこれではないことがわかりました。高市大寺が大官大寺になった後に、ある時点で新規の大官大寺として建造されたようなのです。
 基壇の中から比較的新しい陶器の破片が見つかりその年代との整合から、高市大寺でないことは決定的です。
 吉備池廃寺はどこへ移築されたのか…。移築された先の高市大寺の基壇規模は吉備池廃寺並みのはずなのに、どうして見つからないのか。この謎を探りにまた奈良へ行きたいのですが、子供が大きくなるまでは無理かなぁ…
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