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写真、機材、史跡等々についてのつれづれ日記
・CFS2が動かなくなっていた…
 さて、先般、CFS1とCFS2を久しぶりにインストール、CFS1のジョイスティックの不具合を何とか解消し、楽しんでいたわけですが、CFS1のキャンペーンがひと段落したので、CFS2に移ろうとしたところ…「Combat Flight Simulatorは動作を停止しました」…なに?いつの間に動かなくなったんだ?

・原因調査
 なぜか、CFS2が動かなくなっていました。当初インストールしてから、この間までに、環境の関連でこのPCにしたことで思い当たるのは、CDドライブに専用ドライバでアクセスするゲームのインストールと、ForceFeedBack2のコネクタの接触不良。
 USBのコネクタが接触不良になると、たまにへんなドライバがインストールされることがあるので、それのせいで動かないか、またはCDに関する専用ドライバの関係でディスクをチェックできないかのどちらかではないか、と推測しました。
 レジストリを確認してみたり、専用ドライバのアンインストールを試みてみたものの、状況は改善せず。
 仕方ないのでWindows7を再インストールすることにしました。再インストール後、Windows Updateを完全に終了してからCFS2をインストール。ほぼクリーン状態です。
 しかし…。やはりCFS2は動作せず。むむ?ということは、原因はWindows Update?つまり、更新プログラムのいずれか?

・原因の更新プログラムはどれなのか
 今度は、Windows7SP1をインストール後、すぐにCFS2をインストール。うむ、動作良好。ここから、少しずつ更新プログラムを入れていき、問題の更新プログラムを特定してみました。

・原因は、KB3086255
 コンバットフライトシミュレーター2(CFS2)を動かなくした更新プログラムは、KB3086255であることがわかりました。詳細内容を確認すると、「secdrv.sysの脆弱性のため、このサービスを停止する。古いゲームに影響する可能性がある」とのこと。ここでいう古いゲームにCFS2が含まれているということのようです。
 この更新プログラムがインストールされていると、CFS2が動作しなくなります。
 さしあたり、インストールしないことにしますが、先ほどの詳細内容によると、ゲームするときのみ、記載のコマンドでこのサービスを手動で開始、終了後に停止することでインストールしたままでもいけそうな気配。
 インストールしないことで障害が生じるようになったらやってみようと思います。
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・コンバットフライトシミュレーター
 子育てが始まって以降、満足にプレイしていませんが、レシプロ機のフライトシミュレーターが好きで、いまだにコンバットフライトシミュレーター(CFS1)やコンバットフライトシミュレーター2(CFS2)をたまにやったりしています。
 Windows7にOSを変更して以降、インストールしていませんでしたが、昨日、CFS1をインストールしてみました。

・環境
WIndows7 Pro 64bit
SideWinder Force Feedback2
WindowsXPでインストール済みだったフォルダに上書きインストール
 
・設定が使えない…
 ためしにクイックコンバット。おおっ!ジョイスティック含め、基本的に動くではないですか。「良好、良好…」と思いながら、「設定」を押すと、「ジョイスティックが○○○に変更されたのでキー割り当てを変更しますか」の旨のメッセージがでます。しかし、「○○○」の部分がおかしな文字になっており、不具合がでている模様。一度「設定」を閉じて再度「設定」を押すと、「○○○」が「×××」になったりと明らかに異常。
 そして、変更を「はい」にしても「いいえ」にしても必ずメッセージでて、実際の書き換えは行われていない模様。これは、ジョイスティックの名前が読めていないのではないか?

・再インストールをしたらジョイスティックが全く動かなくなった…
 これは上書きインストールしたせい?と思い、一度フォルダを削除した後、CFS1を再インストールしてみました。
 「設定」の状況は変わらず。しかし、こんどはクイックコンバットでジョイスティックが全く効かなくなってしまいました。
 ネット情報を調べてみると、「CFS1はWindows7にインストールすると、ジョイスティックは動作しない」とのこと。今の私とまったく同じ状況ですが、再インストール前はジョイスティックが使えていたのだから、使う方法はありそう?

・問題はCombatFS.CFGらしい
 さて、運よく私にはもう一つ別のフォルダに、CFSが残っていました。そちらにあるCombatFS.exeを実行してみると、ジョイスティックが使えます!
 ということは、ジョイスティック名が正しく認識できず、設定の書き込みができないせいではないか?双方のCombatFS.CFGを見比べてみると、ジョイスティックが動かないほうのCombatFS.CFGは、[Controls]セクション付近にある、ジョイスティック名が異常です。動くほうのものには、「…forceFeedback2」の文字列が。
 ふむ。このあたりが原因か。

・CombatFS.CFGを差し替えると動く!
 正しく動くCombatFS.CFGを異常なフォルダのCombatFS.CFGと差し替えると、ジョイスティックが使えるようになりました。「設定」がちゃんと使えないのが少し気持ち悪いですが、操作はできるようになったのでとりあえず一段落。

・CombatFS.EXEのパッチ情報発見!
 とりあえず操作できるようになりましたが、できれば「設定」も正常にしたい…。なんとなく「Windows7 CFS JOYSTICK」あたりで検索していると、英語のページを発見!「Windows 7 and CFS1 joystick problem」というような内容で、原因、対策を丁寧に記載されているようです。
 どうやら、Windows7(というより64bitのOS?)では、ジョイスティックの情報が、HKEY_LOCAL_MACHINEからHKEY_CURRENT_USERに移された関係で、CFS1はジョイスティックの情報を発見できなくなり、上記の障害が起こるようです。 対策としては、CombatFS.EXEのレジストリ参照情報を2箇所ほど6802000080(16進)から、6801000080に書き換える(CombatFS.EXEにパッチを当てる)、ということのようです(バイナリエディタで検索すると、3箇所6802000080が見つかるが、最初のものは書き換えない(参照情報ではないと思われます))。

・ジョイスティックが動く!
 早速CombatFS.EXEをバックアップ後にバイナリエディタで開き、パッチを当てて上書き保存。実行してみると、ばっちりです。「設定」もちゃんと動くようになりました。ありがたや、ありがたや。さて、今度こそCFSをクリアしようっと(^^;(何年越し?)
 パッチ情報を回答してくださった方、感謝いたします。

・修正内容(2016/1/13追記)

 バイナリエディタでCombatFS.EXEを開き、6802000080(16進)を検索すると、私の場合、アドレス(ファイル先頭から)0x1141、0xC60F、0xC6BDに0x6802000080が発見されました。0x1141のものは書き換えないそうなので、0xC610の0x02を0x01に、0xC6BEの0x02を0x01に書き換えました。画像は、そのうちの0xC610です。
そろそろ秋試験の申し込み期限です。いつもこのこの頃になると、秋試験の対策が遅れていることを不安になりつつも、早めに申し込みをしていましたが、今回は申し込まないまま、期間が終わろうとしています。

 さる6月19日、4月中旬に受験していたエンベデッドシステムスペシャリスト試験の発表日。少し不安があったものの、なんとか合格していました。
 そして、この試験の合格で目標としていた情報処理技術者試験全科目(パスポート以外…)合格となりました。
 私は、長野で受験していたわけですが、この間、試験会場もいろいろ変わり、受験者としての私から見た情報処理試験も少しづつ変わっていました。
 最初は信大教養学部、つづいて、Mウェーブ。ここは数年続きました。この頃の情報処理技術者試験は、駅からのシャトルバス、会場での弁当販売があって、今からすると華やかなりし頃で、待遇はよかったのですが、スケート場ということもあって、春も冬もとにかく寒かった記憶があります。そして、アリーナを簡単に仕切っただけなので、隣の試験管の声が聞こえてしまい、時間帯が違う試験の「試験をやめてください!」の声にビクっとなったり…。印象に残っています。

 Mウェーブが会場として押さえられなくなってからは、東部中学校、長野女子短大が会場になりました。この頃には、シャトルバス、弁当販売はなくなり、情報処理試験は斜陽化してきた時期です。しかし、この頃から試験の成績(スコア)がインターネットで確認できるようになり、これまでどのような経過で合格したのか明確に分かるようになり、モチベーションが維持しやすくなりました。私は、このあたりからまじめに準備をするようになりました。
 次の会場は、信大工学部。数回続いた覚えがあります。この頃から、長野マラソンが始まって、4月第3日曜日は必ずぶつかるようになりました。最初の年は、その長野マラソンの交通規制につかまって、午前の試験に10分遅刻。この頃には午前の試験で落ちることはほとんどなくなっていたのでなんとか合格しましたが、長野マラソンを嫌いになりました(^^;。この後も、4月の試験では道路を横断できなくて試験開始時間にギリギリになったり、コンビニで弁当を買おうとしたら何一つ残っていなかったりと長野マラソンには、苦い思い出がいっぱいです。
 この後は、しばらく会場は長野高校になりました。今思えば、このあたりから受験者の減少が顕著化してきたようです。春の試験は、桜の開花と重なったり、机に現役高校生の気配を感じて自分の高校時代を思い出したり、長野高校もいい試験会場でした。

 そしてこの数年は、最後のJA長野県ビル。ここは駅から近くていいのですが、何階へ行っていいのか、表示されておらず、最初は戸惑いましたが、3,4回目位になると、案内がなくとも、いつもどおりの11階付近に行ってみて、違っていれば階段で調整したりと、慣れた会場になっていました。そして、この会場が私にとって最後の会場となりました。

 4月と10月の第3日曜日は、毎年情報処理技術者試験の受験日。このリズムで約20年。いつものこと、になっていたこの試験にもう行かないでよいというのは、終わってしまうとちょっと寂しいです(もしかすると、セキュリティマネージャ試験?で1回復活できるかも?)。

 これにて、私の情報処理技術者試験は、終戦となりました。
さてさて…。日頃、子育ての間に、カメラをいじったり、遺跡を調査したりと趣味を謳歌している感のある私ですが、数ヶ月前、少しばかり違った日々がありました。
 それは、タイトルのとおり、骨髄移植ドナーを体験してきたことです。
 原則、骨髄移植について、実施した病院、時期が特定されるような記事は禁止ということで、しばらく間をあけてみました。
 ブログへの記載も正直迷ったりしてるうちに、忘れ始めていたのですが、先日、関係団体の方から、体験記の依頼を受けました。
 さっそく原稿を書いたところ、「長すぎる!」といわれてしまい、用意した原稿の大半をカットしたのですが、せっかく書いた原稿なので、ここに掲出することにします。

・骨髄バンクからの手紙
 骨髄バンクにドナー登録をして、1年ほど経ったある日、見慣れない封筒が家に届いていました。ドナー候補に選ばれたという通知、これから普段の日常と少し変わった経験が始まりました。
 多くの方は、おそらくこの通知を見たとき、非常に前向きに考えると思います。私も、内容を理解したときから、「やるしかない」、気持ちは半分以上決まっていたように思います。

・しかし、一抹の不安も…
 しかしながら、独身時代なら問題はありませんが、いちおう今はまだ小さい子どもたちの父親となっています。家族、特に妻が大反対したら、それを理由にやめておこう、こんな気持ちも確かにありました。

・家族の反応
 まずはじめに妻に話したところ、賛成ではないものの、とりあえず話を聞いてみようということになり、骨髄バンクへドナーを受けるという返事をすることとなりました。
 このときは、最終的に、反対されてできないかもしれないし、予備検査の段階で、外れることも多いらしい、きっと自分もそうなる、だから今は深く考える必要はない、そんな風にも思ってました。

・最終候補者へ
 しかし、段階は順調に進み、最終的に候補者に選ばれる段になってしまいました。ここでようやく、私自身として本格的に意思決定をしなければ、という気持ちになってきました。
 骨髄バンクからもらった「ドナーのためのハンドブック」を何度も読み返したり、リスクについてインターネットで検索したり…。
 やはりもっとも気になるのは、どの程度ドナーの事故が起こっているのか、このことです。
 先のハンドブックもこの部分に多くのページを割き、なるべく多くの情報を正確に伝えようとしていることが読み取れます。死亡事故は皆無ではなく、何件か起こっています。ただし、骨髄バンクが関与した骨髄移植については、死亡事故は発生していないとのこと。骨髄移植は、日本で1万8千件以上実施されています。
 非常に移植実施件数に対して圧倒的に低い事故件数。統計学的には有意な意味をなさないほど小さな数字。客観的にみると、絶対大丈夫と思われました。しかし、次に起こるその1件でも、起きたら自分は死んでしまうかもしれない、こんなことを心配するもう一人の自分もいました。

・リスクの評価
 患者本人さんが否応なしに向き合っているリスクに比べれば、非常に小さなリスク。しかしこの小さなリスクに直面して、おおげさながら人の生と死、自分にできること、するべきことを考えて、気持ちは揺れました。この時は、何日も断続的にどうするべきか考え、こんなに悩むのはもういやだなぁ、もし移植が行われて無事任を果たせたら、ドナーの登録は抹消しよう、と思っていました。

・ついに最終同意
 最終同意の日。同行した家族は、妻と母親でした。母親には詳しい説明をせず、最終同意の場にきてもらったので、少し戸惑わせてしまったようです。私のコーディネーターAさん、第三者の同席者(この件に関わっていない別のコーディネーターの方)、医学的な面を説明してくださる医師から順に説明があり、意思表明の段となりました。臆病な自分がひそかに期待していた家族、特に妻の大反対はなく、すんなり同意ということとなり、最終的に自分の意思で決断する形になってしまいました。

・決断した理由
 私の場合、もう最初に気持ちは決まっていましたが、勢いで突っ込みすぎて失敗するタイプです。相手の患者さんのことはもちろんでしたが、やめるという選択肢もあるということ、いろいろな面を考慮するように努めました。
 悩んだ末、このときたどり着いていた骨髄移植を受ける理由は、「もし、やるなら早く、患者の方にとってなるべくよい状況で」、これも確かに大きい理由でしたが、最終的に踏み切った一番の理由、それは恥ずかしながら非常に個人的な理由で、幼い子供たちに「なにかあったらお父さんが助けるぞ」これを行動で示すこと、でした。

・入院
 入院の日。これが私にとって初めての入院だったので、一抹の不安の中、入院生活とはどんなものか、楽しみでもありました。夜、たまたま持ち込んで読んでいた本に、主要登場人物の子供さんが白血病で若くして亡くなる話が出てきました。偶然に驚き、その境遇に同情しつつ、自分がこのような方を救う一助になれるかもしれないことに、うれしい気持ちとともに、不安を感じました。
 きっと上手くいく、そう言いきかせながら寝床に入りました。

・手術
 入院2日目、手術の時があっという間にやってきました。術前から最も不安だった、全身麻酔。なるべく意識を保っていようと思っていましたが、麻酔の効果は素晴らしく、あっという間に意識を失ってしまいました。
 手術の間、夢を見ていたようです。おぼろげながらつらい夢ではなく、楽しい夢だったように思います。起こされた時、夢では歩いている場面だったのに、天井が見えてものすごく驚きました。そして、無事に終わったことがとにかくうれしかったです。

・術後の痛み
 病室に戻ると術前の説明通り、採取部の腰などに痛みがありました。じっとしているとそれほどでもないものの、動くと痛い。そして排尿時の痛み。しかし、やるんじゃなかった、と思われるほどの痛みではなく、全身麻酔であっという間に意識を失ってしまい、手術のことをまったく知らない私にとって、骨髄提供を確かに行った、その実感を感じさせてくれる唯一といってもいい負担でした。そのため私はこの痛みに耐えることをどこか喜んで受け入れていました。痛みは、入院の間にもどんどん和らいでいきました。

・患者の方
 私の骨髄提供を受ける患者さんは、はるか遠くに居住する同年代の男性だそうです。家族はいるのだろうか、父親なのだろうか。もし、そうなら奥さんや子供さんは心配しているだろうな。顔も見たことはありませんが、自分自身の身に置き換えて考えているうちに、私は戦友のように思っていました。手術が終わり無事採取された骨髄液が患者さんに渡ったと聞いたとき、「私の方はうまくいったよ、そちらもがんばって!」、そんな気持ちでした。

・私にとってのドナー経験
 月日が経って骨髄提供を実感させてくれていた痛みも全くなくなってしまった今、骨髄提供が幻のようにも感じてしまいます。しかし、入院に際して、わずかなリスクを契機に、人の生死、自分のすべきこと、できることを考えた時間は自分にとって非常に貴重な時間であり骨髄提供を通して大変よい経験をさせてもらえたと思っています。骨髄移植に対する考えも移植前と全く変わり、ドナー登録は、もちろんそのまま継続することにしました。
 コーディネーターさんによれば、2度骨髄提供をしているドナーは、1割ほどもいるといいます。1回でもドナーに選ばれる確率を考慮すると、かなり高い確率であると思えます。もしかすると、一致しやすい型というのがあるのかもしれない。となると、私にも2回目のチャンスが来るのではないか。そんな淡い期待をもつようになってしまいました。いざ2回目が来たら、もう一度この提供ができるようにする、これが今の私にとって健康管理の最大の目標です。 

・これからドナーになるかどうか決める方がいたら…
 骨髄移植については、患者さんの治療へ有効かどうか、この点が最も重要であって、ドナーの意向がどうこう、ということはあくまで付随的なものであると思います。この点を踏まえた上で、もし私が、これから意向を決めようというドナー候補の方から相談を受けたら…。「患者さんへ与えるだけでなく、ドナーとしても得るものがあります」、このことを伝えたいと思います。
 
 最後に、患者さんの病状が好転し、幸せな時を送っていらっしゃることを心から願っています。
 また、この骨髄移植にあたり、私を支えてくださった親愛なるコーディネーター、Aさんに心から感謝いたします。
 本日、10月に受験していたITサービスマネージャ試験の結果発表がありました。4月にエンベデッドで不覚を取っていただけに、今回はぜひとも受かりたい試験。そして、最後の論文試験でもありました。

 結果は

 午前II 92 午後I73点 午後II A

 合格でした。

 一応、論文試験全部合格しましたので、調子に乗って、ちょっと感想など。
 IPAの論文試験、苦痛に感じている方は多いと思います。私も苦痛でした。何が苦痛かというと、問題の内容はさておき、最終的に時間が短く、 十分に内容を検討した内容で記載できないこと。
 つまり、答には辿りつけていても、上手に表現できないことだと思います。
 また、書いているうちに答に気がつき、方針を変えようとしても、もう間に合わないことも…。
 
 PMで3回、STで3回、AUで3回、SA、SMは各1回づつ、計11回答案を作成しました。元来、ずぼらな性格なので試験前のリハーサルは、PMの時に3回くらい書いて以来、やっておらず、すべでぶっつけ本番でしたが、これを含めても計14回くらいの記載です。

 それでも、STの3回目、AUの3回目、SA、SMは連続で合格できました。
 私なりに見つけた、攻略法、それは問題文の設問どおりに「見出し」を書き、その見出し内で、その内容についてのみ記載する、でした。
 問題文の中に、必ずIPAの見解がかかれているので、見出しごとに、その見解どおりに、その内容についてのみ記載しました。
 この見解どおり記載することで、もう一つの重要なポイント、AUなら監査の立場、PMならPMの立場からの論文になります。
 
 また、テキスト等には文字数については、「ある程度の文字数」と必ず書いてありますが、私の場合、ほぼすべての論文で最小文字数程度でした。内容さえある程度記載され、最小文字数に到達していれば、それ以上の文字数を書くか否かは合否に無関係だと思います。

 情報処理技術者試験の論文で数回落ち、自信を無くしている方がいらっしゃたら…。
 結局慣れです。何回か書くと必ず合格できます。今連敗していても、ブレークスルーして5連続合格もきっとできます。

 さて、最後の1区分、エンベデッド、今度こそ…。
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