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写真、機材、史跡等々についてのつれづれ日記
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 長岡城…といっても、完膚なきまでに破壊されていることは周知のとおりで、あまり名残は感じられないわけですが。
 このたび、長岡城跡の一画が再開発されて、アオーレ長岡となりました。ここに長岡城に関する展示があると聞き、アオーレ長岡の見物を兼ねて、見に行ってきました。
 当日はイベントを行っていて、駐車場を探すのにてこずりましたが、この結果、あっさり目的の展示を発見してしまいました。再開発時?に発見された、長岡城の遺構として、土塁の土留め杭が説明パネルと共に地下駐車場に展示されていました。
 やはり、石塁の城に比べ、土塁の城は大きく破壊されてしまうと、遺構が残りにくい傾向があるように思われます。
 この展示の他、アオーレの地上部分に、二の丸の碑がありました。
 うーん、これしか見れず、長岡城を来訪した城に加えるのは少し遠慮がありますが、痕跡に乏しいのも事実。
 同じく、市街地化している前橋城、高崎城では、土塁が残っていたり、復元建物があったりしますが、長岡城を実感できる何かがほしいと思ってしまいました。
 ただ、アオーレ長岡の整備で、長岡城について一部触れられているあたり、同様に思っている人がいるんだなぁ、と希望が見えた気もしました。
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 さて、城跡についての初回の記事は、名護屋城にしたいと思います。
 僕が城跡に興味を持つきっかけはいくつかありますが、教科書に出ていた「太閤が睨みし海の霞かな」の歌碑と、夢の跡と化した名護屋城の写真は、良く記憶に残っています。いつか、行ってみたい…。そう思っていました。
 2004年、ついに実現しました。諸般の事情で、ゆっくりとは見れなかったのですが、想像以上です。城に興味を持つ方で、まだ行ったことがなければ、ぜひ行ってみていただきたいです。本やWebページの情報のとおりですが、規模が豊臣秀吉が作った感じをよくあらわしています。イメージで一番近いのは、大坂城です。大坂城は豊臣秀吉の城として有名ですが、現在の大坂城は徳川幕府による再建で、秀吉のものではないのは周知のとおりです。写真で見ると、大坂城は他の城とあまり代わり映えしませんが、多くの城を見て回った後だと、大坂城の櫓にしろ、石垣の石一つにしてもパーツの一つ一つがバカでかいことに気がつきます。写真では、違いがわかりにくいのです。
 名護屋城も、この雰囲気を持っています。大手入口の櫓台からして巨大です。大坂城のものに比肩できると思われます。徳川大坂城は、この技術の延長線上にあるということが想像されます。短い名護屋城の存在期間に、すでに何回も行われていた改修工事痕、破壊されている石垣から想像される往時の姿。城跡めぐりの楽しさを満喫できました。
 そして、本丸、天守台。あの歌碑がありました。往時、ここにどんな天守が建っていたのでしょう。
 お勧めの城跡です。
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