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写真、機材、史跡等々についてのつれづれ日記
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 実際に訪問した古代寺院についても記事にしていないものが多いのに、未訪問の国分寺について記事にしていいものか(^^;。若干の葛藤はありますが、気の向くままに。

 少し前、石田茂作氏の「東大寺と国分寺」という本を入手しました。その中に、国分寺の例がいくつか掲載されているわけですが、石田先生は駿河国分寺として片山廃寺を断定しておられます。

 私的には駿河国分寺については、現状ではいくつかの候補地があり、片山廃寺もその一つ、というように認識していたので意外でした。
 一般には、片山廃寺は規模、年代的には国分寺の様相であるが、塔跡が発見されないため、国分寺と断定されがたく、国分寺でない場合、豪族の氏寺であろうというところだと思います。

 対して、石田先生は、主に伽藍配置が出雲国分寺などの国分寺式(東大寺式)配置の伽藍配置であること、条里制に従う方2町の寺域、講堂、金堂の心々距離による地割、瓦当の文様から確信されています。

 また、未発見とされる塔跡を、金堂の東に設定しておられます。ただ、塔跡と断定されているわけではないので、これがこの後、新たな発掘等で、塔跡ではないと否定されたのでしょうか?機会を見つけて発掘報告書を確認してみたいところです。

 さて、金堂東の塔跡は、なにか別の建物など、どうやら違うようですが、地割を中心とした先生の分析を読ませていただくと、私も片山廃寺が駿河国分寺であろうと思うわけです。先生がこの本を著した段階では、現在ほど情報がなかったこともあり、基本的にすべての国分寺が国分寺式配置であろうと述べられている点は、一部否定されてしまっているわけですが(大官大寺式の上総国分寺、美濃国分寺など)、その一方、大部分の国分寺はおそらく先生が言われるように国分寺式配置で細かな配置もかなり共通しており、法隆寺式配置とされる下総国分寺などは研究により覆る可能性を秘めているように思います。

 そして、ネット情報によりますと、近年、片山廃寺の金堂南東方向に、南北約16.5mの掘り込み地業跡が発見され、塔跡の可能性があるとのこと。金堂南東方向に塔を置くことは、標準的な国分寺式配置。ほぼ間違いないと思われます。今後の追加調査に期待です。
 ううむ。片山廃寺、行ってみたい…。
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