契約が終盤になって、いざ契約…の段階で、契約中止になってしまいました。
なぜか…。うちの子どもは、生まれた日、過呼吸気味とのことで、お医者さんから進められ、念のためにクベース(保育器)に1日入りました。
たったこれだけのために、郵便局では1年間様子を見ないと保険に入れないんだそうです。別に怒ってるとかそういうわけじゃないんですが、保険約款は厳しく適用するとこういうものなのでしょうね。
とりあえず、もう一口で農協には入れたのでとりあえずはいいんですが。もうすぐ一年。今年は入れるんでしょうか…
よいレンズは、ファインダーで見たイメージよりもさらに良いものが写る…。最近、そんな感じがしています。このレンズ、購入翌日に何気に木の幹をテスト撮影してみたのですが、臨場感がすごくて、何気ない被写体だったはずの木の幹がこんなに魅力的だったっけ?という感じに感じたことが印象的です。
この臨場感、ちょっとこのレンズ独特?…お気に入りなレンズです。
さてさて、28-70Gには、丸型のフードが付属しています。28mmの画角にあわせ、非常に浅い物になっていますが、通常のズームに比べると直径が大きく設定されていて特に大きなフードになっています。このフードが役に立たないと非難を受けることが多いようです。
ミノルタではカスタムフードとしてこのフードを花形に延長したものも発売していました。今でもたまにオークションに出ますが、異常な高値です。
そのため、フードの取り付け径が同じ、STFのフードを改造してこのレンズの花形フードを作っている人もいます。
僕も作ろうかなと計画したことがあります。
A85Gのフードも取り付け径が同じ。なのでフードの深さ的にはA85Gのフードをベースにする方がよいように思われたので、85GのフードをA28-70/2.8Gにつけてみるとフォーカスホールドボタンがあたってしまい、逆付けができません。STFのフードは持っていませんが、外観を見る限り、おそらく同じ状態になるのではないでしょうか。改造した人は多分、逆付けしていないんでしょうね。
続いて次の案。比較的簡単に作れそうな案としてA20/2.8のフードを延長したらどうかと思って付けてみました。しかし…28-70Gのバヨネットは、上位置がいい加減な設定のようで、20mmのフードだと位置がずれてしまい、大きな加工が必要になることが判りました。良く観察してみると、20mmなどの花形フード装着レンズは、フードの「MINOLTA」ロゴが真上に来るようになっていますが、85Gや28-70Gなどの丸型フード系は、少しずれています。カスタムフードの写真を良く見ると、ロゴの位置と花弁にずれがあることから、この状態で正常のようです。
こんな検討をしているうちに、ノーマルフードの方がクラシックな外観でかっこいいと思うようになってきたこと、ただでさえ大きくて目立つので少しでも目立たずに使え、収納が便利であり、使いやすいことの方が大事に思うようになってきました。
画質的にも、このレンズの場合、フレアカッターが十分に機能しているようで、画質への寄与は実用上低いと思われることから花形へのこだわりが無くなってしまいました。
…といっておきながら、最近、ジャンク屋で未使用のA100-400用フードを安価で入手してしまいました。同レンズを買うことは多分無いので、このフードの使い道は取り付け径が同じレンズ……。まぁ、しばらくは作りませんね!
丸型フードのクラシック外観は特にα9000によく馴染みます。なかなかイイですよ。
我が家単焦点中最高の焦点距離を持つ、A200/2.8Gを購入してから3年ほど。なかなか使う機会がありません。
このレンズの描写はほんとに惚れ惚れしてしまいます…。購入してすぐに、親戚の結婚式で使わせてもらいましたが、非常によい写りで、俺の時に、これで撮ってくれれば、とほんとに思いました。
円形絞りじゃないことが欠点だと言われますが、私はそう思いません。ほんと良いレンズです。APS-Cで使うと、ちょっと長くて厳しい場面もあるけれど、この写りには代えられない。ただ、日々使うとなると、なかなかちょうど良い被写体を見つけることができません。どう使うかなぁ…
今から10年ほど前、新聞に吉備池廃寺という名前が考古学上の世紀の発見として新聞に取り上げられました。通常、廃寺の場合、文献に出てくる本来の名前と一致することが明らかでない場合、発見された場所の地名に廃寺をつけて呼ばれるため、吉備池廃寺は正式名が不明な寺です。
しかしながら…。発見された基壇(建物跡)の規模は巨大この上なく、また年代的にも非常に古く、その年代でこの巨大さをもつ寺で所在が明らかでない歴史上の寺は、ただ一つ。長年、場所がわからなかった百済大寺しかなかったのです。また、塔基壇から推測される塔の規模は、九重塔。いやはやすごい。
というわけで、見に行きたくてたまらなかった場所へ、今から5年程前、行ってきました。これほど大々的に発表されたものでもあるし、すぐにわかるだろうと思い、現地へ行きましたが、もうすでに発掘調査は終了していたこともあって、なかなか判りません。結局夜になってしまい、嫁の提案を聞き入れ、地元の人に聞いてやっと判りました。
夜ではほんとに何がなんだかわからなかったので、付近で一泊して翌朝再訪。
一言でいうと、まぁ、土手ですな…。現在、農業用の用水として吉備池は使われているのですが、これの堰堤の一部に組み込まれています。僕がそれまでに行ったことのある古代寺院の基壇はせいぜい80cm。基壇の近くへ行けば、基壇の上面の様子はよく見えるものです。がしかし、吉備池廃寺の基壇は現状で2メートル以上の高さがあるのです!上らなければ上面なんてぜんぜん見えない。これはすごい。
すごいのだけど、すごすぎて誰もこれが寺院の基壇だと思っていなかったために発見されなかったようです。
世の中、こんなことがあるんですね…。
吉備池廃寺は、新たな謎を生みました。この寺院跡からは通常出土するはずの瓦や礎石といった遺物がほとんどでません。これ自体は謎ではなく、理由は推測されています。この寺は、完成後30年程で移築されたと記録に残っています。移築先は、高市という場所で、新たに高市大寺と呼ばれました。この後、再度改称し、「大官大寺」となり、平城京への移築で、「大安寺」となります。
大官大寺については、奈良の明日香村に、跡が発見されています。大安寺についても、現在小規模な寺院となっていますが、平城京の南部に現存しています。百済大寺は、高市大寺へ移築されたために瓦も礎石もないということは史料と合致しています。
吉備池廃寺=百済大寺、高市大寺=大官大寺、大安寺、すべて明らかなようなのですが、ここに問題があります。高市大寺は改称されて大官大寺になりましたが、明日香村で発見されている大官大寺はこれではないことがわかりました。高市大寺が大官大寺になった後に、ある時点で新規の大官大寺として建造されたようなのです。
基壇の中から比較的新しい陶器の破片が見つかりその年代との整合から、高市大寺でないことは決定的です。
吉備池廃寺はどこへ移築されたのか…。移築された先の高市大寺の基壇規模は吉備池廃寺並みのはずなのに、どうして見つからないのか。この謎を探りにまた奈良へ行きたいのですが、子供が大きくなるまでは無理かなぁ…
「αシステムのすべて2」の発行時、本レンズは黒鏡胴で紹介されていますが、この時点で、A200/2.8やA300/2.8はハイスピード化されています。ということは、A80-200の白鏡胴への変更はこの後のため、非HSであることはないと思われます。
今もコニカミノルタのページで見られる、互換性情報のリストには、黒鏡胴と白鏡胴の二タイプしか出ていないことからも、この2タイプしかないということなのでしょう。A200/2.8やA300/2.8には非HS初期型をHS相当に改造したHS改がありますが、黒鏡胴をHSに改造したA80-200は存在するのでしょうか…
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