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写真、機材、史跡等々についてのつれづれ日記
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行ってみたかった片山廃寺、行ってまいりました。
 しばらく、行ける見込みはなかったのですが、ひょんな事から近くへ家族旅行に行くことになり、朝5時に起きて朝に見学してきました。7時には家族の下へ(^^;。
 ふむ、良いですね。
 付近は住宅地。史跡地は公園となっていますが、車を止める場所はなし。車を止める場所があれば、もっとよく見れたのですが、車をとめる場所を探すのに時間を取られ、移動に時間を取られであまり良く見れませんでした。
 
・塔はどこに…
 さて、先般、話題にしました幻の塔はどこであろう、と公園から南に続く小道へ。そこにはなんとなく話に合いそうなアパート。敷地もやや周りより高いような?。塔基壇の名残か?

・土地の高さ
 しかし、見学時、土地の高さがこの遺跡の疑問点の一つ。金堂の復元基壇は道によって分断されているのですが、北に向かって右側は道路よりもやや高く(50cm程度高)、左側は道路よりも低く(50cm程度低)なっています。
 通常、復元基壇は史跡を壊さぬよう、盛土の上作るので、左側が遺跡に対して僅かの盛土、右側が盛大な盛土になっているのではないでしょうか。しかし、史跡の公園から続く住宅街は、ほぼ道路右側の高さになっています。となると、国分寺時代の地表に50cmも土が堆積していることになり、左側はそうではないこととなり、少し疑問の残る状況。いつの時代かに造成されたのでしょうか?
 仮に造成されたとすると、アパートの敷地に塔基壇の名残はないはず?

・伽藍配置を検討
 結局、現地では確証を得られなかったので、航空写真を参考に、石田茂作先生の片山廃寺略図、と甲斐国分寺の金堂を基準とした塔位置からなる伽藍想像図を作成してみました。甲斐国分寺の塔位置としたのは、石田茂作先生の本で検討したところ、一番塔位置が南であったためです。しかしながら、甲斐国分寺よりも、塔位置はもっと南のようです。甲斐国分寺は規模が小さいからでしょうか。もしかすると、このアパートではないのかな?と、ページをめくっていると、東大寺の東塔の位置は、甲斐国分寺よりもやや南のよう。とすると、東大寺に範を取っているとすれば、こんな位置になり、アパートとの関連もつじつまが合います。ふ~む。発掘報告書が読みたいです。

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