写真、機材、史跡等々についてのつれづれ日記
さてさて…。日頃、子育ての間に、カメラをいじったり、遺跡を調査したりと趣味を謳歌している感のある私ですが、数ヶ月前、少しばかり違った日々がありました。
それは、タイトルのとおり、骨髄移植ドナーを体験してきたことです。
原則、骨髄移植について、実施した病院、時期が特定されるような記事は禁止ということで、しばらく間をあけてみました。
ブログへの記載も正直迷ったりしてるうちに、忘れ始めていたのですが、先日、関係団体の方から、体験記の依頼を受けました。
さっそく原稿を書いたところ、「長すぎる!」といわれてしまい、用意した原稿の大半をカットしたのですが、せっかく書いた原稿なので、ここに掲出することにします。
・骨髄バンクからの手紙
骨髄バンクにドナー登録をして、1年ほど経ったある日、見慣れない封筒が家に届いていました。ドナー候補に選ばれたという通知、これから普段の日常と少し変わった経験が始まりました。
多くの方は、おそらくこの通知を見たとき、非常に前向きに考えると思います。私も、内容を理解したときから、「やるしかない」、気持ちは半分以上決まっていたように思います。
・しかし、一抹の不安も…
しかしながら、独身時代なら問題はありませんが、いちおう今はまだ小さい子どもたちの父親となっています。家族、特に妻が大反対したら、それを理由にやめておこう、こんな気持ちも確かにありました。
・家族の反応
まずはじめに妻に話したところ、賛成ではないものの、とりあえず話を聞いてみようということになり、骨髄バンクへドナーを受けるという返事をすることとなりました。
このときは、最終的に、反対されてできないかもしれないし、予備検査の段階で、外れることも多いらしい、きっと自分もそうなる、だから今は深く考える必要はない、そんな風にも思ってました。
・最終候補者へ
しかし、段階は順調に進み、最終的に候補者に選ばれる段になってしまいました。ここでようやく、私自身として本格的に意思決定をしなければ、という気持ちになってきました。
骨髄バンクからもらった「ドナーのためのハンドブック」を何度も読み返したり、リスクについてインターネットで検索したり…。
やはりもっとも気になるのは、どの程度ドナーの事故が起こっているのか、このことです。
先のハンドブックもこの部分に多くのページを割き、なるべく多くの情報を正確に伝えようとしていることが読み取れます。死亡事故は皆無ではなく、何件か起こっています。ただし、骨髄バンクが関与した骨髄移植については、死亡事故は発生していないとのこと。骨髄移植は、日本で1万8千件以上実施されています。
非常に移植実施件数に対して圧倒的に低い事故件数。統計学的には有意な意味をなさないほど小さな数字。客観的にみると、絶対大丈夫と思われました。しかし、次に起こるその1件でも、起きたら自分は死んでしまうかもしれない、こんなことを心配するもう一人の自分もいました。
・リスクの評価
患者本人さんが否応なしに向き合っているリスクに比べれば、非常に小さなリスク。しかしこの小さなリスクに直面して、おおげさながら人の生と死、自分にできること、するべきことを考えて、気持ちは揺れました。この時は、何日も断続的にどうするべきか考え、こんなに悩むのはもういやだなぁ、もし移植が行われて無事任を果たせたら、ドナーの登録は抹消しよう、と思っていました。
・ついに最終同意
最終同意の日。同行した家族は、妻と母親でした。母親には詳しい説明をせず、最終同意の場にきてもらったので、少し戸惑わせてしまったようです。私のコーディネーターAさん、第三者の同席者(この件に関わっていない別のコーディネーターの方)、医学的な面を説明してくださる医師から順に説明があり、意思表明の段となりました。臆病な自分がひそかに期待していた家族、特に妻の大反対はなく、すんなり同意ということとなり、最終的に自分の意思で決断する形になってしまいました。
・決断した理由
私の場合、もう最初に気持ちは決まっていましたが、勢いで突っ込みすぎて失敗するタイプです。相手の患者さんのことはもちろんでしたが、やめるという選択肢もあるということ、いろいろな面を考慮するように努めました。
悩んだ末、このときたどり着いていた骨髄移植を受ける理由は、「もし、やるなら早く、患者の方にとってなるべくよい状況で」、これも確かに大きい理由でしたが、最終的に踏み切った一番の理由、それは恥ずかしながら非常に個人的な理由で、幼い子供たちに「なにかあったらお父さんが助けるぞ」これを行動で示すこと、でした。
・入院
入院の日。これが私にとって初めての入院だったので、一抹の不安の中、入院生活とはどんなものか、楽しみでもありました。夜、たまたま持ち込んで読んでいた本に、主要登場人物の子供さんが白血病で若くして亡くなる話が出てきました。偶然に驚き、その境遇に同情しつつ、自分がこのような方を救う一助になれるかもしれないことに、うれしい気持ちとともに、不安を感じました。
きっと上手くいく、そう言いきかせながら寝床に入りました。
・手術
入院2日目、手術の時があっという間にやってきました。術前から最も不安だった、全身麻酔。なるべく意識を保っていようと思っていましたが、麻酔の効果は素晴らしく、あっという間に意識を失ってしまいました。
手術の間、夢を見ていたようです。おぼろげながらつらい夢ではなく、楽しい夢だったように思います。起こされた時、夢では歩いている場面だったのに、天井が見えてものすごく驚きました。そして、無事に終わったことがとにかくうれしかったです。
・術後の痛み
病室に戻ると術前の説明通り、採取部の腰などに痛みがありました。じっとしているとそれほどでもないものの、動くと痛い。そして排尿時の痛み。しかし、やるんじゃなかった、と思われるほどの痛みではなく、全身麻酔であっという間に意識を失ってしまい、手術のことをまったく知らない私にとって、骨髄提供を確かに行った、その実感を感じさせてくれる唯一といってもいい負担でした。そのため私はこの痛みに耐えることをどこか喜んで受け入れていました。痛みは、入院の間にもどんどん和らいでいきました。
・患者の方
私の骨髄提供を受ける患者さんは、はるか遠くに居住する同年代の男性だそうです。家族はいるのだろうか、父親なのだろうか。もし、そうなら奥さんや子供さんは心配しているだろうな。顔も見たことはありませんが、自分自身の身に置き換えて考えているうちに、私は戦友のように思っていました。手術が終わり無事採取された骨髄液が患者さんに渡ったと聞いたとき、「私の方はうまくいったよ、そちらもがんばって!」、そんな気持ちでした。
・私にとってのドナー経験
月日が経って骨髄提供を実感させてくれていた痛みも全くなくなってしまった今、骨髄提供が幻のようにも感じてしまいます。しかし、入院に際して、わずかなリスクを契機に、人の生死、自分のすべきこと、できることを考えた時間は自分にとって非常に貴重な時間であり骨髄提供を通して大変よい経験をさせてもらえたと思っています。骨髄移植に対する考えも移植前と全く変わり、ドナー登録は、もちろんそのまま継続することにしました。
コーディネーターさんによれば、2度骨髄提供をしているドナーは、1割ほどもいるといいます。1回でもドナーに選ばれる確率を考慮すると、かなり高い確率であると思えます。もしかすると、一致しやすい型というのがあるのかもしれない。となると、私にも2回目のチャンスが来るのではないか。そんな淡い期待をもつようになってしまいました。いざ2回目が来たら、もう一度この提供ができるようにする、これが今の私にとって健康管理の最大の目標です。
・これからドナーになるかどうか決める方がいたら…
骨髄移植については、患者さんの治療へ有効かどうか、この点が最も重要であって、ドナーの意向がどうこう、ということはあくまで付随的なものであると思います。この点を踏まえた上で、もし私が、これから意向を決めようというドナー候補の方から相談を受けたら…。「患者さんへ与えるだけでなく、ドナーとしても得るものがあります」、このことを伝えたいと思います。
最後に、患者さんの病状が好転し、幸せな時を送っていらっしゃることを心から願っています。
また、この骨髄移植にあたり、私を支えてくださった親愛なるコーディネーター、Aさんに心から感謝いたします。
それは、タイトルのとおり、骨髄移植ドナーを体験してきたことです。
原則、骨髄移植について、実施した病院、時期が特定されるような記事は禁止ということで、しばらく間をあけてみました。
ブログへの記載も正直迷ったりしてるうちに、忘れ始めていたのですが、先日、関係団体の方から、体験記の依頼を受けました。
さっそく原稿を書いたところ、「長すぎる!」といわれてしまい、用意した原稿の大半をカットしたのですが、せっかく書いた原稿なので、ここに掲出することにします。
・骨髄バンクからの手紙
骨髄バンクにドナー登録をして、1年ほど経ったある日、見慣れない封筒が家に届いていました。ドナー候補に選ばれたという通知、これから普段の日常と少し変わった経験が始まりました。
多くの方は、おそらくこの通知を見たとき、非常に前向きに考えると思います。私も、内容を理解したときから、「やるしかない」、気持ちは半分以上決まっていたように思います。
・しかし、一抹の不安も…
しかしながら、独身時代なら問題はありませんが、いちおう今はまだ小さい子どもたちの父親となっています。家族、特に妻が大反対したら、それを理由にやめておこう、こんな気持ちも確かにありました。
・家族の反応
まずはじめに妻に話したところ、賛成ではないものの、とりあえず話を聞いてみようということになり、骨髄バンクへドナーを受けるという返事をすることとなりました。
このときは、最終的に、反対されてできないかもしれないし、予備検査の段階で、外れることも多いらしい、きっと自分もそうなる、だから今は深く考える必要はない、そんな風にも思ってました。
・最終候補者へ
しかし、段階は順調に進み、最終的に候補者に選ばれる段になってしまいました。ここでようやく、私自身として本格的に意思決定をしなければ、という気持ちになってきました。
骨髄バンクからもらった「ドナーのためのハンドブック」を何度も読み返したり、リスクについてインターネットで検索したり…。
やはりもっとも気になるのは、どの程度ドナーの事故が起こっているのか、このことです。
先のハンドブックもこの部分に多くのページを割き、なるべく多くの情報を正確に伝えようとしていることが読み取れます。死亡事故は皆無ではなく、何件か起こっています。ただし、骨髄バンクが関与した骨髄移植については、死亡事故は発生していないとのこと。骨髄移植は、日本で1万8千件以上実施されています。
非常に移植実施件数に対して圧倒的に低い事故件数。統計学的には有意な意味をなさないほど小さな数字。客観的にみると、絶対大丈夫と思われました。しかし、次に起こるその1件でも、起きたら自分は死んでしまうかもしれない、こんなことを心配するもう一人の自分もいました。
・リスクの評価
患者本人さんが否応なしに向き合っているリスクに比べれば、非常に小さなリスク。しかしこの小さなリスクに直面して、おおげさながら人の生と死、自分にできること、するべきことを考えて、気持ちは揺れました。この時は、何日も断続的にどうするべきか考え、こんなに悩むのはもういやだなぁ、もし移植が行われて無事任を果たせたら、ドナーの登録は抹消しよう、と思っていました。
・ついに最終同意
最終同意の日。同行した家族は、妻と母親でした。母親には詳しい説明をせず、最終同意の場にきてもらったので、少し戸惑わせてしまったようです。私のコーディネーターAさん、第三者の同席者(この件に関わっていない別のコーディネーターの方)、医学的な面を説明してくださる医師から順に説明があり、意思表明の段となりました。臆病な自分がひそかに期待していた家族、特に妻の大反対はなく、すんなり同意ということとなり、最終的に自分の意思で決断する形になってしまいました。
・決断した理由
私の場合、もう最初に気持ちは決まっていましたが、勢いで突っ込みすぎて失敗するタイプです。相手の患者さんのことはもちろんでしたが、やめるという選択肢もあるということ、いろいろな面を考慮するように努めました。
悩んだ末、このときたどり着いていた骨髄移植を受ける理由は、「もし、やるなら早く、患者の方にとってなるべくよい状況で」、これも確かに大きい理由でしたが、最終的に踏み切った一番の理由、それは恥ずかしながら非常に個人的な理由で、幼い子供たちに「なにかあったらお父さんが助けるぞ」これを行動で示すこと、でした。
・入院
入院の日。これが私にとって初めての入院だったので、一抹の不安の中、入院生活とはどんなものか、楽しみでもありました。夜、たまたま持ち込んで読んでいた本に、主要登場人物の子供さんが白血病で若くして亡くなる話が出てきました。偶然に驚き、その境遇に同情しつつ、自分がこのような方を救う一助になれるかもしれないことに、うれしい気持ちとともに、不安を感じました。
きっと上手くいく、そう言いきかせながら寝床に入りました。
・手術
入院2日目、手術の時があっという間にやってきました。術前から最も不安だった、全身麻酔。なるべく意識を保っていようと思っていましたが、麻酔の効果は素晴らしく、あっという間に意識を失ってしまいました。
手術の間、夢を見ていたようです。おぼろげながらつらい夢ではなく、楽しい夢だったように思います。起こされた時、夢では歩いている場面だったのに、天井が見えてものすごく驚きました。そして、無事に終わったことがとにかくうれしかったです。
・術後の痛み
病室に戻ると術前の説明通り、採取部の腰などに痛みがありました。じっとしているとそれほどでもないものの、動くと痛い。そして排尿時の痛み。しかし、やるんじゃなかった、と思われるほどの痛みではなく、全身麻酔であっという間に意識を失ってしまい、手術のことをまったく知らない私にとって、骨髄提供を確かに行った、その実感を感じさせてくれる唯一といってもいい負担でした。そのため私はこの痛みに耐えることをどこか喜んで受け入れていました。痛みは、入院の間にもどんどん和らいでいきました。
・患者の方
私の骨髄提供を受ける患者さんは、はるか遠くに居住する同年代の男性だそうです。家族はいるのだろうか、父親なのだろうか。もし、そうなら奥さんや子供さんは心配しているだろうな。顔も見たことはありませんが、自分自身の身に置き換えて考えているうちに、私は戦友のように思っていました。手術が終わり無事採取された骨髄液が患者さんに渡ったと聞いたとき、「私の方はうまくいったよ、そちらもがんばって!」、そんな気持ちでした。
・私にとってのドナー経験
月日が経って骨髄提供を実感させてくれていた痛みも全くなくなってしまった今、骨髄提供が幻のようにも感じてしまいます。しかし、入院に際して、わずかなリスクを契機に、人の生死、自分のすべきこと、できることを考えた時間は自分にとって非常に貴重な時間であり骨髄提供を通して大変よい経験をさせてもらえたと思っています。骨髄移植に対する考えも移植前と全く変わり、ドナー登録は、もちろんそのまま継続することにしました。
コーディネーターさんによれば、2度骨髄提供をしているドナーは、1割ほどもいるといいます。1回でもドナーに選ばれる確率を考慮すると、かなり高い確率であると思えます。もしかすると、一致しやすい型というのがあるのかもしれない。となると、私にも2回目のチャンスが来るのではないか。そんな淡い期待をもつようになってしまいました。いざ2回目が来たら、もう一度この提供ができるようにする、これが今の私にとって健康管理の最大の目標です。
・これからドナーになるかどうか決める方がいたら…
骨髄移植については、患者さんの治療へ有効かどうか、この点が最も重要であって、ドナーの意向がどうこう、ということはあくまで付随的なものであると思います。この点を踏まえた上で、もし私が、これから意向を決めようというドナー候補の方から相談を受けたら…。「患者さんへ与えるだけでなく、ドナーとしても得るものがあります」、このことを伝えたいと思います。
最後に、患者さんの病状が好転し、幸せな時を送っていらっしゃることを心から願っています。
また、この骨髄移植にあたり、私を支えてくださった親愛なるコーディネーター、Aさんに心から感謝いたします。
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